札幌市中央区の自然豊かな幌西地区にある動物病院です
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<続・獣医さんのこぼれ話>

【3】*一つの生と一つの死
2001/05/16(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 786文字

昔の話になります。私が大学の付属病院で、インターンと呼ばれる研修医をしていた時 のことです。

病院では主に内科の診察をしていましたが、ある寒い日のこと、老夫婦が飼っている老 犬Yちゃんを連れて来られました。まるで赤子を抱くように、かわいがっていました。

おじいさんがまず、「うちの子のおっぱいにできものがある」と言い、その後は、おば あさんと交互に老犬を飼ったいきさつや、どんなに利口な犬かを私に話して聞かせてくれ ました。

「できものは乳腺(せん) 腫瘍(しゅよう)と呼ばれるもので、悪いものだと乳がんで す。今から思えば心臓の悪いかなりの老犬でしたが、血気盛んだった私は老夫婦を説き伏 せ、手術でおできをとることになりました。

手術は無事に終わり、元気にこの老犬は退院し、老夫婦は感激して帰りました。検査の 結果は、乳がんでした。その後もこの老夫婦は、よく私の元へ元気な姿を見せてくれまし た。

月日が過ぎたある日のこと、外来窓口におじいさんとYちゃんがいるのを見つけまし た。おじいさんがいつもの笑顔ではなかったので、私は心配で話しかけました。「おじい さん、Yちゃんに何かあったのかい」。するとおじいさんは「先生、うちの婆さんが先 月、がんで死んだんだ」と言う。

いつも二人で仲むつまじく、愛犬をいとおしげに抱いて来院されていたのに・・・。そして 帰り際、おじいさんがぽつりと言いました。「うちの婆さんも先生に診てもらえばよかっ たよ」と。未熟な私ですが、心を打たれる一言でした。今でも忘れられません。

【7】*ガイドさんは天使
2001/06/13(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 745文字

昨年のことです。ある夕方、私の病院にY旅行社から電話がありました。「犬を保護し たのでどうにかならないだろうか?」と。犬はけがをしているようで、そしてその犬はも うこちらへ向かっているとのこと。飼い主ではなくともけがをしているのであれば断れま せん。

しばらくして病院の前に観光バスが止まり、中から犬を抱えた若いバスガイドさんが降 りてきました。犬は足からたくさんの血を流し横になったまま身じろぎもしません。ガイ ドさんの制服は胸元から固まった血で汚れていました。きっとずっと抱いていたのでしょ う。

さいわい犬は一命を取りとめましたが、足にけがをしています。そして私の脳裏には困 惑がよぎりました、さてこの犬をどうしたらいいのだろう・・・。犬は雑種の老犬でやせこ け、とても新しい飼い主さんが見つかりそうに思えませんし、保護センター行きのその後 の始末を私は知っています。するとバスガイドさんが「先生、私が責任を持って飼いま す。費用も払いますのでけがを治してください!」ときっぱり言ったのです。

【11】*大蛇を風呂場で飼育
2001/07/11(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 680文字

私は動物病院で犬や猫以外の生き物も多く診ているので、動物種により飼育上、家庭で はいろいろな都合があることを感じています。そこでこんな飼い主さんの話をしましょ う。

ある日、Sさんが大変深刻そうに相談の電話をかけてきました。「何を困っているので しょうか」と尋ねると、Sさんは「お風呂(ふろ)に入れないんです」と言うのです。 人?何? それと私の仕事とは無縁に思えるのですが・・・。そこで、Sさんから詳しく話を 聞きました。

休日に家族で札幌近郊の藻岩山にハイキングに行ったときのことだそうです。登山道を 少しはずれたところで小休止をしていたら、小学生の娘さんが突然、「キャー」と叫んで 腰を抜かしたそうです。娘さんは足元に変わった模様の石を見つけ拾おうとしていたので すが、その石が勝手に動いたのです。変だなあと近づいてみたら、なんとそれはヘビの頭 でした。

チョロチョロ舌を出していて、さらになんと草むらに体長が四メートル近くもあるニシ キヘビがいたというのです。そしてとても物好きなこのSさん、この大蛇をかついで家に 持ち帰ったのです!

でも家にはこの動物を飼育するスペースはなく、それでこの大蛇はお風呂 (ふろ) 場で 一泊することになりました。その後、ずーっとこの大蛇はおうちのお風呂場で飼うことに なり、当然、飼い主? はお風呂に入れず、家族全員で銭湯通いをしているとのことでし た。

それにしてもこの大蛇、捨てる人あれば拾う人ありで、何とも不思議ないきさつでし た。えっ私の返事?それは内証です。ちなみにSさんはヘビが大の苦手だそうな・・・。

【15】*自然に触れて優しく
2001/08/08(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 755文字

ある時、こんなことを聞きました。ヒトは自然に触れると優しくなるそうです。ヒトは 自然を愛し、きっと心のどこかにひっそりと自然をしまっているのです。

四年前の冬、日本海でタンカー「ナホトカ号」の座礁事故がありました。多くの海の生 物が被害を受け、たくさんの海鳥の救護が必要でした。このため地元のほか道内にも苫小 牧に救護施設がつくられました。あいにくの厳冬期で、私や多くのボランティアは氷点下 二〇度以下の中、食事のことも考えず夜昼となく治療にあたりました。

弱っているとはいえ野生の動物です。そう簡単に言うことは聞いてくれません。ウトウ やウミスズメなど都会では見られない鳥もいます。ほとんどが油による中毒で、貧血や重 い内臓の病気を起こしていました。

治療は専門的な知識が必要で、特殊なレクチャーを受けていないと獣医師でも手が出せ ない。われわれは心身ともに疲労していましたが、お互いを励ましあって救護にあたりま した。

そんな中、救護施設のある苫小牧や千歳の御婦人たちが毎日、われわれのために食事を つくりに来てくださったのです。お礼を言うと「動物のことはわからないけど鳥を助けた い気持ちはうんとあります。直接的ではないですが、救護をしている人たちに何かをする ことで協力したいのです」と言われました。

なんとボランティアへのボランティアです。私たちはそのことに感動してすっかり元気 を取り戻し、そしてその元気を鳥たちに分けました。その後、元気になった鳥を野生に帰 すとき、その御婦人たちに鳥たちを放す役目をしてもらったのです。

あの時の御婦人たちの顔は、自分たちが鳥たちを助けたんだという自信にあふれていま した。私たちは不幸な災害を体験しましたが、この時自然を通して少し優しくなりました。

【19】* 「チキンスープ」の意味
2001/09/05(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 791文字


皆さん、お料理のスープにはいろいろな種類がありますが、チキンスープはお好きです か?。三年前、私の友人のアメリカ人獣医師が、チキンスープという題名の本を出版し、 プレゼントしてくれました。

「以前からこの「チキンスープ」という英語に特別の意味があるのがわからず、私の頭の 中で、その言葉はなぞでした。しかし、その本で意味がようやくわかりました。果たして チキンスープというのは、われわれが口に入れるお料理ではなかったのです。

料理のチキンスープは鶏がらからとったダシが命ですね。肉をはずした鶏がらを長い時 間をかけて煮込み、最後の一片の肉が外れてもまだ骨のずいからおいしいエキスが出てき ます。実にシンプルでかつ、他にたとえられない味です。

この本を読んでぱっと私のなぞは解けました。それは、チキンスープの命のダシとは動 物を飼っている飼い主さんの、その子に対する愛情だというのです。飼い主さんの心とは 鶏がらのように、「煮込んでも煮込んでも味が出てくるよ、最後の骨になってもまだまだ ダシがずいからにじみ出て来て決して尽きることはないのだよ、それほど飼い主の愛情と は深くて味のあるものなのだ」ということだったのです。なんとすてきな表現でしょう!

雪の日も雨の日も飼い猫のためにずぶぬれになっても来院される飼い主さん。自分が万 一、病気になったときのために、犬名義の定期預金を作っているおばあさん。腰の悪い犬 のためにわざわざ平屋の家を建て住んでいる家族。みーんな自分のことをそっちのけで動 物のために良いようにしているのです。

そして動物たちが飼い主に見せるあの良い笑顔! それが動物たちから飼い主さんへの最 高の贈り物なのですね。あのつぶらな瞳(ひとみ)はあなたに飼われて良かったと語って いることでしょう。

どうです、みなさんはどんなチキンスープでいらっしゃいますか? 

(石山通り動物病院 斉藤聡)

【23】*飼い猫との別れ今も胸に
2001/10/03(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 727文字


私の実家ではネコを二匹飼っておりました。二匹は仲の良い親子ネコで、十八歳の三毛

猫のベンジーと十七歳の黒ネコのピン子のおばあちゃんネコたちでした。部屋にある狭い 箱の中でいつも抱き合い丸くなって寝ていました。

五年程前の冬、寄る年波には逆らえず母ネコのベンジーが急に衰え、寝たきりになった と実家から連絡がありました。私はそばに行ってあげたくても、病院をあけることができ ません。そして後日、次のような話を両親から聞いたのです。

「ある日のこと、ベンジーがようやく起き上がり、とぼとぼと歩いて家の玄関にたどり つき、外へ出してくれとニャアニャア鳴き出した」というのです。そのとき私の両親はす べてを理解したそうです。この子は死に場所を探しにいくのだと。自分の最期が人目にさ らされないよう隠れようとしているのだと。ドアをあけてあげるとベンジーはあまりよく 見えない目で両親を見て、それからゆっくりとお隣の家の縁の下に消えていったそうで す。そこはベンジーが元気だったころの一番の遊び場でした。

その後、それっきりベンジーの姿を見ることはありませんでした。

そして翌年の同じころ、一歳年下の黒ネコのピン子が弱ってきたと聞かされました。今 度は私も何とか会いに行き、やせた体を抱きました。そのなんと軽かったことでしょう。 まるで体も魂も一緒に枯れていくようでした。そして今度はこの子の最後の姿をみとりま した。とてもつらい経験でした。

私は今までにたくさんの動物の死の瞬間を見てきましたが、どんな時でも常につらく苦

しいものです。最期をみとれなかったベンジー、命が消え、亡きがらだけの姿になったピ

ン子。今でも思い出すと私のまぶたは熱くなります。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【27】*高級ホテルの幸運な犬
2001/10/31(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 708文字

米国のテロ事件の翌日、私はフランスで開かれる獣医師の学会で発表のため新千歳空港 をたちました。機上では、テロのせいで乗客も乗務員も私も少し緊張の色が見られまし た。到着地のパリではすべての米国行きの飛行機が止まり、大パニックになっていまし た。

フランスではやはりテロ事件の報道が流れていましたが、もう一つの話題は狂牛病でし た。現地で、なんと北海道産の牛で狂牛病が出たことを知り、驚きました。ヨーロッパで は狂牛病は重大事件で、ドイツでは閣僚が二人も引責辞任し、フランスでも昨年十一月に 狂牛病の肉が売られたことが問題になりました。

この病気は名前のイメージが「狂犬病」と重なっていただけません。獣医師界では牛海 綿状脳症BSEと言っています。現在、たくさんの研究者が治療法を探っており、いたず 「らに恐れることはないと思います。

会議の開催地は南部のニースでしたが、ここでようやくいい話を聞きました。この町に ネグレスコホテルという有名高級ホテルがあります。このホテルに去年の秋のある寒い日 のこと、汚れた一匹の犬が現れ、よたよたとロビーの真ん中まで歩いてきて、ぱたんと倒 れたというのです。ホテルの支配人が気づき、獣医師の元に連れて行きました。

この犬を飼っていたホームレスの姿がしばらく前から見えなくなり、犬は飼い主を探し てあちこち歩き回って衰弱し、このホテルまでたどり着いたらしいとのことでした。犬は 手厚い看護で回復。今ではこのホテルで飼われ、ロビーでお客さんを迎えてくれるそうで す。犬はリューキーと名付けられました。名前の由来がわかりますか? 英語ではLUC KY「ラッキー」と書くのです。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【31】*心打つイルカの母性愛
2001/11/28 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 705文字


動物の世界には母子の愛情物語があります。カルガモ親子の小さなお引っ越しはとても ほのぼのとしています。ヒバリは巣の卵やひなを守るため自分の何倍もの大きさのあるト ンビに果敢に向かっていきます。どちらも命を懸けた行為です。

陸上の動物だけでなく、水中で暮らす動物にもとても母性愛の強い生き物がいます。そ の一つがイルカです。イルカはヒトと同じほ乳類ですから、赤ちゃんは親と同じ姿で生ま れてきます。ただしヒトと違い、生まれてくるときに頭からではなく、しっぽの方から出 てきます。赤ちゃんイルカは生まれてすぐに呼吸をする必要があり、水面に向かって泳ぎ 出すのですが、そのとき逆児(さかご)で出てきた方が好都合だからです。

産後、母イルカは赤ちゃんイルカにぴったりと寄り添い、泳ぎを手助けします。しかし 中には死産の子もいるのです。そんなときでも母イルカは、子供が死んでいるのを知って か知らずか、口の先で一生懸命に水面の方向に向かっていとおしげに誘導するのです。

その行為は子供の体がある限り何日も続きます。母イルカはえさも食べず、子供を生き 返らせようと努力して片時も離れません。他の動物が近づくと子供をとられまいとしてか ばい、最後には自分も衰弱して死んでしまいます。海には死んだ赤ちゃんイルカのそば に、やせた母イルカの亡きがらがあることでしょう。

この母イルカの行動を本能という言葉で片づけてしまっては味気なさすぎます。もし母 イルカに両手があれば死んだ子供をずーっと抱きかかえていることでしょう。

この慈愛に満ちた行為は聖母マリアと重なって映りますが、あなたの目にはどう映るの でしょうか?

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【35】*ペットの管理徹底を
2001/12/26(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 671文字


今年の十月一日から、北海道では全国に先がけて「動物の愛護及び管理に関する条例」 が施行されました。これは日本で初めてつくられた新しいルールです。どんな内容なので しょうか?

北海道にはもともと固有の動物として、ヒグマやナキウサギ、シマフクロウなどがいま す。しかし最近、飼い主の元から逃げたり、ふとどきな飼い主が捨てたりした動物が自力 で生き残り、他の動物を脅かしたり、農作物に被害を与えたりしているといいます。

人間に重大な病気を起こすエキノコックスという寄生虫は、ネズミ駆除のため、千島列 「島から礼文島に連れてこられたキツネによって持ち込まれたと考えられています。

みなさんの周りのペットでも、道外から来てヒト社会にとっては困ったことをしている 動物がいます。漫画にもなったかわいいアライグマや、フェレットというイタチの仲間 や、リスの仲間のプレーリードックなどです。これらの動物が野生化して畑の作物を食 べ、農業に損害を与えています。もともとその地方にいなかったこれらの動物を移入動物 と呼んでいます。かわいいということだけで飼い、大きくなって持て余して捨ててしまう なんて、なんてひどい人でしょうか。

今度の法律の柱は、移入動物を飼う場合の届け出制と、捨ててしまうような無責任な飼 い主に罰金を科すというものです。キツネやアライグマが悪者なのではなく、その動物の ことを知らずに連れてきて、いらなくなったら捨ててしまう勝手な人間が悪いのです。

アライグマやキツネたちはきっと、師走の月に向かって泣いていることでしょう。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)



【39】*ご主人と一緒の最期
2002/01/30 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 686文字


人間の病院では入院すると食事時間や消灯時間などがありますね。では、動物は入院中 にどんな生活を送っているのでしょうか。病気のこともさることながら、ちゃんとご飯を 食べたかしら、排尿排便はきれいにしてもらっているかしら、おとなしく寝ているかし ら・・・と、飼い主の皆さんとても心配なことでしょう。

実はほとんどの動物たちは穏やかに寝ているのです。夜間見回るときにあまりに寝入っ ていると、大丈夫かと思って体をゆすって起こしてしまうこともあるくらいです。

病気のために長く入院している動物の中には、かなり重病の子もいます。重病で助かる 可能性がとても低いが、最後まで奇跡を信じて治療していることもあります。そんな時、 飼い主さんは何とか病気の子を励まそうと面会にきて顔を見ていかれます。

ある時、点滴をしながらずっと病気のネコの傍らについていた飼い主さんがあまりに寂 しそうだったので、院長室でその子に点滴をつなぎ、自宅でくつろぐように自由にして、 付き添わせてあげました。

私は仕事をしながら飼い主さんと雑談をし、ネコを見ながら思いました。重い病気を看 病しながら何事もないかのように過ごしているこの時間は、悲しいとか病気だとかそのよ うなものを超越して、まるで夢を見ているようだと。普段は治療のためにケージという病 室にいなくてはならないけれども、もう元気になれない子たちの最期の場所は、あたたか いヒトのぬくもりのある場所なのだと・・・。

後日、私は部屋で二、三本のネコの毛を見つけました。あの子が残した形見なのか、そ れとも私の夢の中の幻なのでしょうか?

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【43】*猫だって知る お米とぎ
2002/02/27(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 682文字

皆さんは一日に一度はお米を食べていらっしゃいますか? では、ご自分でご飯を炊い ていらっしゃいますか? 最近、面倒なお米とぎをしなくてもよい無洗米というのがヒッ ト商品になっているらしいのですが、私は幼い時に聞いた、母がお米をといでいる「しゃ んしゃん」というお米の音が好きでした。

動物にとってお米はアレルギーの原因となるアレルゲン性が低く、アトピー性皮膚炎を 持つ動物のフードに多く使われている原料です。そのお米離れが日本人に見られ、また最 近の若い女性はお米をとぐことを知らない人もいるらしいのです。とぎ方くらい知らない とお嫁にいけませんよね。

ところで、私の知っているCちゃんというネコちゃんはおふろが好きで、なんと飼い主 さんと一緒に湯船に入るのだそうです。普通、ネコは水嫌いで、野良猫は雨が降るとじっ と隠れ、飼い猫はシャンプーが大嫌いなはずですが、Cちゃんは逆なのです。

そのCちゃんは面白い特技を持っているのです。そうです、お米をとぐのです。飼い主 さんがおうちの晩ご飯のために炊飯器の容器にお米を入れると、その音を聞きつけてどこ からともなく現れて背中に飛び乗り、肩口から炊事台に降りてその縁から手を伸ばし、ち ゃんと両手でお母さんがするようにしゃんしゃんとお米をとぐのだそうです。なんとかわ いらしいしぐさなことでしょう。

だれですか汚いと思った人は! ネコの左手は人を招き、右手はお金がくる福の手だそ うですよ。とても縁起がいいのです。世のお米のとぎ方を知らない女性諸君。君たちはお 嫁さんに行っても猫の手を借りることになるよ!

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【47】*ペット思う気持ちは同じ
02/03/27(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 664文字


先月、中国の北京に行って来ました。北京ダックを食べるためではもちろんありません。動物のはり治療を学ぶためでした。その際、中国で動物を飼育するにあたり、日本の制度とは大きな違いがあることが分かりました。

「いくつかあげますと、中国で犬を飼う場合、一匹あたり税金として日本円で九万円も納 めなくてはなりません。平均年収二十一三十万円の北京ではとても高額です。また犬の外 飼いは禁止で、家の中で飼うことになっています。散歩の時間も制限され、朝七時からと 夜八時からの各一時間だけです。このため日中、犬を散歩させている人を見かけることは なく、道路脇に犬のふんが落ちていることもほとんどありません。しかし、犬を飼育して いる人はたくさんいるようで、北京では最近、動物病院の数が急増しているとのことでし た。

私が国立北京鑑賞動物病院を訪れた時、脳の病気で首が大きく曲がり、自分で歩けない 犬が診察に来ていました。その犬の飼い主さんが私に「まだ若いのにこのような病気にな ってしまいました。治る見込みはないのでしょうか」と話しかけてきました。

私は一目見て、治る病気ではないことを感じましたが、無責任な答えを出す代わりに、 曲がった首を何度もなぜてあげました。飼い主さんは「謝謝」と笑顔で礼を言ってお辞儀 をしましたが、目には一筋の涙が光っていました。

制度は違っても、動物を思う気持ちに変わりはないのでしょう。私は犬を抱いて帰る飼 い主さんの後ろ姿を、窓から追いながら中国語で「再見」(さようなら)と心の中で言い ました。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【51】*足を失っても勇気失わず
2002/04/24(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 680文字

ソルトレークシティーオリンピックに続き、身障者らのスポーツの祭典パラリンピック も先月、幕を閉じました。オリンピックは記録が残り、パラリンピックは記憶が残るとい うそうですが、何ともいえない感動が心に残りました。

ある番組で、年齢制限でパラリンピックに参加できなかった、両足にハンディを持つ男 の子がスキーをしている姿を紹介していました。ハンディを感じさせないすばらしい滑り をしていたその子が「僕には足はない。でもかわりに勇気があるんだ」と話していたのに は泣けました。

人と動物は同じではありませんが、後ろ足一本を失ったゴールデンリトリーバーのリー バちゃんのことを思い出しました。

リーバは三年前、かかとの腫れがひどくなったため、来院しました。硬くなったかかと を検査したところ骨にできるがんだと分かりました。私はがんであること、そしてこの子 を助けるためには足を切断しなくてはならないことを、悩みながら伝えました。飼い主さ んが受けるであろう心理的ショックとリーバの今後を考えたからです。

しかし、私には説明する義務がありました。飼い主さんはショックと苦悩の中、片足を 根元から切断することを選択されたのです。手術によりリーバは足を一本失いましたが、 その代わりに命を得ました。

先日、年に一度の予防注射を受けにリーバは来院しました。がんにうち勝ち、リーバは 三本足で自由に走り回っています。私はこの子の元気な姿を見て、自分と飼い主さんの選 択が間違いではなかったと確信しました。飼い主さんとリーバの勇気をたたえたい気持ち でいっぱいです。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【55】*小料理店から来た友達
2002/05/22(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 640文字


「おさかな天国」という歌がはやっていますが、私はペットとして、小魚の「シロウ オ」ちゃんと、サワガニの「ニカ」ちゃんを飼っています。

「ニカ」は一年前、私のなじみの小料理屋でから揚げになる寸前に救出? され、私の 部屋で飼われています。「ニカ」は思いがけずにグルメなカニで、いろいろな餌を与えて もなかなか食べませんでした。

そんなある日、私の晩酌の甘エビを「ニカ」が欲しそうにしていたのであげたところ、 小さな左右のつめで交互にちぎっては口に運び出したのです。それからは食欲旺盛にな り、立派なから揚げに? いえいえ体格になってきました。

でも一匹では寂しそうなので、「シロウオ」という小魚を同じ水槽の仲間に入れてあげ ました。「シロウオ」も、同じ店で「躍り食い」の料理として出されました。数匹は私の 胃袋に消えましたが、残っているその魚の目を見ていると仏心? 獣医心? が出てき て、店の主人に頼み、連れて帰ったのです。

初めは互いの狭い縄張りをけん制し、縦横二十センチほどの「領地」の中で見つめ合 い、何者なのか探っていました。しかし今では共存し、それまで一匹で悠々と生きてきた 「ニカ」も狭い長屋暮らしに慣れたようです。私がのぞきこんでも隠れる様子もなく、 「早く晩御飯くれよー」と黒く輝く飛び出た目で訴えるようになりました。

動物好きの私は、この子たちを見るだけで心が和みます。「ニカ」ちゃんとまだ名のな い「シロウオ」ちゃんは私を癒やしてくれるのです。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【59】*愛犬と完走利尻島1周
2002/06/19(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 658文字


今年は冬季オリンピックにサッカーワールドカップと、スポーツの年ですね。私も今月 九日、利尻島一周五十四キロマラソンに、愛犬ノワールと出場しました。

長距離マラソンを犬と一緒に走ってみたいーそんな私の長年の願いを、マラソン大会の 主催者、黒川さんが特例で認めて下さり、出場がかないました。

当日、島は雨と風のあいにくの天候でしたが、スタート後、沿道で応援する地元の人に 優しく声をかけもらいました。終盤には、ほとんど足が動かない私を愛犬は頑張れと励ま してくれ、一人と一匹は八時間かかってなんとか完走しました。

出場前は犬が完走できるか心配していたのに、私の方が体力負けでした。ゴールした時 には、お利口に伴走してくれたノワールに本当にいとおしさを感じました。また、自分が 完走できた達成感とともに、島の人の優しさ、すばらしい自然に触れられたことを感謝し ました。

マラソン大会の前日、隣島の礼文島では花祭りが行われており、許可を得てノワールと 島に渡りました。

礼文島はその昔、エキノコックスという犬やキツネから人に感染する病気が発生し、キ ツネを駆除した後、島民の飼い犬を強制的に殺処分したことがありました。しかし、四十 年前の悲惨なできごとを乗り越えて、現在、エキノコックスは駆除され、島の人も犬を飼 っています。今も当時のことを忘れられない人もいるでしょう。

犬を飼う幸せと、ペットを連れ歩くことの難しさ、そして自然の美しさと人々の優しさ 一今回、両島を訪れて、そのことが今も心に残っています。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【63】*自然に返ったゴマちゃん
2002/07/17(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 706文字


小さな子供が混雑したデパートでお母さんとはぐれると、声をからして泣きます。道端 に捨てられた子猫は、お母さん猫を探してニャアニャアと鳴き続けます。人も動物もお母 さんから離れ、寂しくなると同じ姿で泣くのです。ママが迎えにきてくれるまで必死に鳴 いて、自分の存在を教えているのです。

利尻島でのこと、佐々木さんという漁師さんからいい話を聞かせてもらいました。今か ら六年前のある寒い日、佐々木さんがいつものように船を出し漁を終えて戻ったところ、 港に何か白いものが浮いていました。よく見るとなんと、アザラシの赤ちゃんでした。驚 いた佐々木さんはその子を急いで救い上げ、仕事もそっちのけで自宅に連れて帰りまし

た。

温めたり小魚を口に含ませたり一生懸命に看病しました。そのかいあって、その赤ちゃ んは少しずつ元気を取り戻し、名前を「ゴマちゃん」と名づけました。まだ幼かった佐々 木さんの子供と一緒の布団で寝て、お風呂も一緒にはいったそうです。

ゴマちゃんはいつも家族と一緒に朝早起きし、漁でとった新鮮な魚を食べてどんどん大 きくなりました。そして自然に戻せるように少しずつ船で外海に連れて行き、他の仲間に 合わせました。するとやがて港には帰ってこなくなったそうです。

スコットランドで、アザラシと人の子供の交流を描いた「フィオナの海」という物語が ありましたが、まるで日本版のようです。すばらしいのは、野生の動物をきちんと自然に 返そうとしたことです。佐々木さんの自然に対する思いに敬服いたします。

今でも沖に出ると、漁船のそばに一頭のアザラシが近寄ってくるそうです。きっとゴマ ちゃんに違いありません。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【67】*カメ産卵の砂浜残して
2002/08/14 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 642文字


先日、日本最南の小笠原諸島に行ってきました。ヤシの木の下で浜風に当たり、慣れな い暑さを避けてのんびりと過ごしました。今でも思い出すのは、白いサンゴの砂浜に卵を 産みに来た、あの晩のアオウミガメの姿です。

陽が沈み、浜辺が月明かりに照らし出されるころ、カメは上陸を始めました。百キロほ どの重い体を必死に引きずり、七十センチほどの深さの穴を掘りました。涙を流しながら 一時間ほどかけて五十個ほどの卵を産み、自分で穴を埋めて再び海に帰っていきました。 私は始めから終わりまで約二時間、月や星明かりを頼りに、その傍らでじっと見守ってい ました。

ウミガメは二十歳になるとようやく産卵ができるようになります。あの母ガメが卵を産 んだのは、二十年以上前にこの砂浜で生まれたからです。長い時間をかけ、ようやくふる さとのこの島に帰り着いたのです。つまりこの島にはそれだけ長い年月、自然を守る力が あったということです。

産卵の前日には、地元の人たちが、卵からふ化して生後五日目の赤ちゃんガメニ百匹 を、この砂浜に放流しました。

しかし今、この島には飛行場建設の話が持ち上がっています。われわれの社会は、人類 の発展という進化を続けています。しかし新しいものを作ることも大変ですが、今あるも のを残す方がもっと難しいと思うのです。

お願いです、これ以上生命をはぐくむ自然を壊さないで下さい。今年産まれた子ガメた ちが再び二十年後、このふるさとの砂浜に帰って来れるようにお願いします。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【71】*人為的原因で絶滅の危機
2002/09/11(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 687文字

東京から南南東に約千キロ、アフリカのリビア砂漠とほぼ同じ北緯二十五度付近の太平 洋上に、小笠原諸島は浮かんでいます。東京竹芝桟橋を発着するフェリーで、約三十時間 かけて渡る以外に渡航手段が無い絶海の孤島は、大陸と遠く隔てられてきたために生物の 種類は少なく、代わりにこの島々ならではの固有の生物が存在し、「東洋のガラパゴス」 と言われるほど、貴重な自然が残っています。

ウミガメが産卵に訪れ、鯨が求愛の踊りを踊る島々。最も大きな父島で二十四平方キ 口、母島で二十一平方キロと、小さな島に生息する希少生物の中に、アカガシラカラスバ トと呼ばれる天然記念物の鳥がいます。島の深いジャングルの中で今、この鳥は絶滅の危 機に瀕(ひん)しています。

現在確認されている生息数は、父島と母島を合わせて十羽に足りません。近種のリュウ キュウカラスバトは既に絶滅してしまいました。野良猫による被害、人間による自然環境 の変化、エサの減少、台風の影響などで数が減ったのだそうです。

エサの減少の原因の一つは、昔この島に人為的に持ち込まれたアカギの木。カラスバト の好む在来植物を駆逐する勢いで増殖しているそうです。今になってこの鳥の救護や、ア カギの伐採活動が始まっていますが、絶滅の危機に瀕しているアホウドリやオロロン鳥も 含め、既に絶滅した鳥たちの二の舞いは、ぜひとも避けたいものです。

われわれ人間が、いや、少なくとも地球上で自分が、生きている間に、一つの生物種が 滅びてゆくことや、その原因が自分たち人間の仕業のためだと思うと、自分自身の胸が締 め付けられる思いがします。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【75】*子猫救った連携プレー
2002/10/09 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 660文字

リレー競争で一番難しいのは、バトンを渡すときです。医療の現場でも同じことが言え ます。

オホーツクの紋別市に、私の友人の獣医師が動物病院を開いています。先日、生後六力 月の先天性心臓病の子猫がいて、どう治療したらいいかと相談を受けました。

その子猫は生まれつき体が弱く、発育も後れがちでした。手術をしても助けられるか、 麻酔には耐えられるのか。飼い主さんとの話し合いの中では、苦しませるのならばむしろ 安楽死をすることも考えました。

結局、できることはしてあげたい、なんとか助けてほしい、との飼い主さんの心に動か され、手術をすることになったのです。私は夜間に車を五時間運転して友人の病院へ行 き、その子猫の手術をしました。よほど強運の持ち主なのでしょう。手術は無事に終える ことができました。

しかし、まだ安心はできません。外科において、手術後のケアは一番重要なのです。翌 日、点滴を受けている子猫を友人に託し、私は帰路につきました。この手術がベストであ ったのか、病気から回復してくれるのか・・・。帰りの車の中で、頭の中を子猫の姿がずっと よぎっていました。

私たちを信頼して手術を頼んだ飼い主さん、そして大切な術後の看護をしてくれる友 人。二人の獣医師が協力して一匹の子猫を治療したのです。バトンを渡す側も受け取る側 も、うまくいくかどうかは息が合ってないといけないのです。

しばらくして、友人から電話がありました。「今日、元気に退院したよ」。命のバトン は、ちゃんと飼い主さんの手に渡ったようです。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【79】*雪虫で思い出す飼い犬シロ
2002/11/06(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 680文字


雪虫をご存じですか? 吐く息が白くなり、防寒着の襟を立てるころになると、そろそ ろ初雪が降りますよ、と教えに来てくれる北国の冬の使者です。

外を歩いていて、予期せず遭遇するもので一瞬、目の錯覚かと思うほどゆっくりと飛ん でいる、かれんで真っ白な小さな綿のような虫です。そっと手のひらですくうと、アブラ ムシのしっぽに綿毛がついていることがわかります。雪虫を見ると、私の中に淡い記憶が よみがえります。

私が幼いころ、札幌市内の実家には「シロ」という名の、雪のように白いスピッツ犬が いました。まだ小さい私と、よく相撲を取ったりしたそうです。庭は垣根で囲われてい て、サクランボやなしの木が茂っていました。シロはいつも忠実で、家族の一員として良 い番犬をしてくれました。

ところがある日、近所の人をかんでけがをさせてしまったのです。シロにも言い分はあ ったでしょうが、近所の人の手前、泣く泣く保健所に引き渡さなくてはなりませんでし た。私はシロのいなくなった犬小屋の前で泣きました。

小屋の前には大きなクルミの木があり、足元にたくさんのクルミの実が落ちていまし た。シロはクルミの実を採りに来た人を泥棒と思ってかんだのかもしれません。私はまだ 幼く、シロがいなくなったことを十分に理解していなかったように思いますが、しかし子 供心は傷つきました。

シロをつないでいた鎖を握りしめ、泣きじゃくっていた私の周りに、いつの間にかたく さんの雪虫がその時に舞っていました。

今でも雪虫を見ると、その時の淡い記憶がまぶたの裏に、おぼろげに浮かんでくるので

す。
(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【83】*猫へのひどい仕打ち
2002/12/04(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 687文字

わが家には五匹の猫がいます。「吾輩(わがはい)は猫である」といった堂々とした風 格のありそうな子ではなく、みんな何故か控えめな猫たち。実は、三歳から十六歳の年寄 り猫までみんな捨てられた子たちだったのです。

先日のことです。子猫が三匹、段ボール箱に入れられて捨てられていました。この寒空 の中で餌もなく、家の前に置き去りにされていたのです。車にはねられたり、カラスにつ つかれたりするかもしれません。いったいどんな人がこんなひどいことをしたのか。もら い手が見つかるまで私が育てることにしました。

捨てられた子猫ちゃんたちは自分たちの境遇をものともせず、無邪気に遊び、すくすく と育ちました。三匹とも、とてもかわいい顔をしていて、すぐ私になつきました。

里親探しに出していることを聞き、子猫の顔を見に来られた方が、自分の家の猫が死ん でしまったから欲しいと、二匹引き取っていきました。すごくなついてきたところだった ので別れは悲しかったのですが、かわいがってもらえそうでした。

あの子たちを捨てた人に言いたい。猫の人生も人の人生もいろいろな運命の流れの中に いるのかもしれない。けれど、自分より弱い生き物にひどい仕打ちをするような人生を、 私は歩みません。

堂々と病院の待合室にかごに入れた動物を置き去りにした人もいます。誰だって、捨て られた生き物を引き受けるのは容易ではないのです。誰がこの気の毒な猫たちを養ってい くのか、子猫たちがそんなことを訴えることはありません。

あのつぶらな瞳たちが、誰よりも、そして世界一幸せに過ごせるように祈りたいもので す。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【87】*「あ」の口ばかり 私の“狛犬”
2003/01/08(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 684文字

日本のお正月は、多くの会社や役所が元日から正月三が日までお休みになり、四日から 仕事始めとなるのが慣例となっているようです。皆さんはもうお仕事を始められてます か? 元旦は日付が変わる零時ころに遠くから除夜の鐘の音を聞き、おそばを食べながら テレビ番組を見て家族で団らん。これが昔ながらのスタイルでしょうか。

外国でもお正月はあります。先月訪れたスペインでは、深夜の酒場に大勢の人が集ま り、カウントダウン。カウントゼロと共に、店にいた人たちと誰彼かまわずキスをし、外 では花火を打ち上げて大いに盛り上がるそうです。そして、日本と大きく違うのは、翌二 日からは何事もなかったように職場に向かうことだそうです。

さて、日本では正月に厄払いや願掛けのため、多くの人が神社に参拝に参ります。神社 の入り口には狛犬(こまいぬ)の石像が置いてあります。

狛犬は獅子(ライオン) のような、怖い顔をした犬のようにも見える姿ですが、実際に は空想上の神を守る守護獣像といわれています。普通は門の左右に一対置かれ、よく見る と右手の方は口を開け、左は口を閉じています。この左右逆の場合もありますが、この口 は五十一音の「あ」と「うん」を表しているそうです。言葉の始まりの「あ」から終わり の「うん」まで、神様には人のなす事がみんなお見通しなんだよ、と言う意味なのでしょ うか。

ところで、私の元旦は例年通り、病院の宿直室で新年を迎えました。神社には行けませ んでしたが、狛犬の代わりは優しい顔をした私の愛犬たちです。どの子が「あ」かな? あれ? みんな「あ」をしています。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

91*カラフルな服で警戒ほぐす

2003/02/05(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 701文字

大寒の一月二十日、ウトナイ湖にあるサンクチュアリに冬の野鳥観察に行ってきまし た。凹凸一つない真っ白い湖上の雪原に、風景と同化してよく見ないとわからないほど純 白な白鳥のファミリーがいました。時折、優雅に羽を広げて見せる姿はとてもすてきでし た。

鳥は、種類により姿も羽の模様もさまざまですが、一生同じ衣装の鳥もいます。

すずめは「着たきりすずめ」の言葉通り、夏も冬も同じ柄ですね。私は、鳥たちはとて もおしゃれだと思っています。鳥にとって自分の外観は、生きているあかしそのものなの です。

冬になると、雪にあわせて真っ白に羽色を変えるライチョウは、夏の間は草木にあわせ た保護色の羽に変わります。カモのオスは、冬になると派手な色合いの婚姻色でメスを求 愛し、春の子育て時期には土色の地味な羽色にもどります。

人に置き換えると、礼服や仕事着の関係がそうかもしれません。でも、私は診察のとき にあまり白衣を着用しません。スクラブと呼ばれるカラーの半袖の手術下着を着たり、時 にはジーパンをはいているときもあります。なぜだと思いますか?

実は診療の時、動物にあまり警戒心を持たせたくないからなのです。なぜか分かりませ んが、白衣というものは生き物に緊張感や警戒心を持たせるようです。病院に初めて連れ てこられた子さえ、白衣を見るとおびえて逃げ腰になってしまうほど。それを少しでも和 らげようというわけです。

最近では、わが病院のスタッフたちも私のまねをして、みんなあざやかな色彩の柄シャ ツを着始めました。

おかげで、窓の外は銀世界ですが、病院の中はまるで南の島にいるかのようににぎやか です。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【95】*盲導犬とスペイン旅行
2003/03/05(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 656文字


札幌には、目が不自由な方を助けるため、人の目となり、つえとなるワンチャンを育成 する盲導犬の育成所があります。

現在、日本全国には約九百頭の盲導犬が活躍しています。各地に養成所があり、一頭の 盲導犬を育てるには二年の歳月がかかります。毎年、養成所を巣立つ盲導犬は、全国で約 百三十頭おり、それぞれが約十年にわたり、立派に仕事を成し遂げます。

しかし、盲導犬もいつかは年をとり現役から引退する時期がきます。十年間も自分の体 の一部として連れ添った伴侶犬と別れるのは、お互いに辛いことでしょう。

去年十二月、スペインに行ったときに、現地に住む人からすてきな話を聞きました。あ る日本人の方が、日本からスペインにイヌを連れてきて旅行しているというのです。この 方は目が不自由で、盲導犬とともに外国を一人旅しているとのこと。その方がエさんとい う女性だと知り、また過去にも数度スペイン旅行を経験したと聞いて、さらに驚きまし た。

Iさんの伴侶犬は、今年で十三歳になるラブラードールリトリバーのセレスちゃんで す。もうエさんに連れ添って十年以上になり、二人 (?) の息はぴったりです。昨年末に もスペインに行ってお正月を現地で過ごし、セレスちゃんの十三歳の誕生日をスペインで 迎えたそうです。

飼い主さんの目となり、またボディーガードとなって旅をしたセレスちゃん、大変ご苦 労さま。そしてエさん、あなたのすばらしい勇気を心から、尊敬いたします。人間と動物 の間で通い合う心は、けっして終わることはないでしょう。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【99】*弱いもの救うための強さ
2003/04/02(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 689文字


科学が進歩したにもかかわらず、地球上ではさまざまな出来事が起こっています。そこ には喜びと悲しみ、怒りと哀れみ、生と死があります。

つい先日、私の目の前に生まれたばかりの犬の赤ちゃんがいました。帝王切開で生まれ たばかりの、ただ一匹の赤ちゃん犬です。でもこの子は生まれつき、重大な障害を持って いました。病院のスタッフたちと今後、どうするか話し合いを持ちました。

そして私たちは、飼い主さんにこの子が育つ見込みは低いことを伝えました。飼い主さ んは「お願い、先生。この子にできる限りのことをしてください」と話しました。赤ちゃ ん犬の寝顔を見ていてできるだけ手を尽くそうと思いました。

女性の副院長が夜はそばに付き添うといいました。だれもが皆、弱いものや傷ついたも のを放っておけないのです。しかし、残念ながら翌朝、この子犬は天国に行ってしまいま した。スタッフたちは流した涙とともに、か弱ければか弱いほどに尊い、命の重さを学ん だはずです。

古来、人は病や死を恐れていけにえをしたり、自分より弱いものを滅ぼしたりしてきま した。人はどうして不老不死や己の利益を求めて武器を持ち、人を傷つけその命を奪うの でしょうか。

私は小さいころに教わりました。人間は弱いものだと。やわらかい肉体には、武器とな るよろいや角はない。でもその代わりに、考える力や心がある。人は弱いけれども努力し て強い心を持とう。人は強くなれば強くなるほど、弱いものを助けるんだ。強いものほど 優しくなれる。優しく弱いものを愛しなさいと。

小さな命を救うための強さが、真の強さではないでしょうか。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【103】*命と向き合う神聖な場所
2003/04/30(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 8ページ 706文字


動物病院の中でもっとも神聖な場所はどこだと思いますか。玄関? 待合室? いずれ も大切なところです。飼い主さんや動物ができるだけ落ち着ける雰囲気で、かつ清潔でな くてはなりません。でも私はやはり、手術室が一番神聖な場所だと思っています。

手術室には、患者さんをのせる手術台や麻酔機材、心電計などの機械が並んでいます。 天井には無影灯という照明器具があり、手術中には視線の先を明るく照らします。

手術室ではいろんな出来事があります。帝王切開で母体から新しい小さな命が救い出さ れる場であったり、交通事故に遭った動物の生死を分ける緊急救命の場であったりと、常 に命と正面から向き合う場所なのです。

通常手術の場合、術者と麻酔係、手術助手などがチームを組みますが、帝王切開の場合 は、母犬の手術にたずさわる班と、子犬の蘇生(そせい)にたずさわる班の二つに分かれ て作業をします。

手術室に心電計のピッピッと規則的な音が鳴り響き、皆の神経が集中します。麻酔がか かり準備が整うと、母犬の体内から一匹ずつ出される子犬のへその緒を縛ったり、背中を さすったり、鼻から肺にたまった粘液を吸い出すなど、懸命の作業が続きます。呼吸の弱 い子がいると「がんばって」と自然に叫んでいます。

そんな緊張感の中、ピーピーと甲高い赤ちゃんの泣き声が聞こえ、それがだんだん力強 くなると、手術室の雰囲気は一気に明るくなります。

手術を終え、母犬に赤ちゃんを会わせると、赤ちゃんは一生懸命おっぱいに吸い付き、 母犬はわが子を丁寧になめます。この姿を見て初めて笑顔がこぼれます。私は汗をぬぐ い、小さな命の尊さをしみじみと感じます。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【107】*交差点渡り“一人”で来院
2003/05/28 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 669文字

初めて訪れた場所なのに、以前来たことがあるような気がすることってありませんか?

動物病院に初めて来院したワンチャンやネコチャンでも不思議と、動物的!な勘が働く のでしょうか、病院に連れてこられ、警戒して中に入ってこなかったり、何かを怖がって ふるえてたりすることがあります。しかし、中には痛いことをされる場所なのに病院が大 好きという子もいるのです。

ある日の診察時間中のこと、病院の玄関前に飼い主さんらしい人がいなく、引き綱もつ いていない犬が一匹だけでいるのを、待合室にいた別の飼い主さんが教えてくれました。 見るとKさんの家のジロー君です。スタッフがドアをあけるとしっぽをふって入ってきま した。

「あれっ、ジローちゃんお母さんは?」と私。周りを見渡してもなぜかKさんはいませ ん。するとちょうど受け付けの電話が鳴りました。あわてた涙声のKさんからでした。 「先生、ジローが逃げていなくなった」と。

なんとジロー君は家から脱走して、交通量の多い国道や交差点をいくつか渡り、病院ま で“一人”で来たのです。途中でジロー君を見たという方の話では、ジロー君はちゃんと信 号待ちをし、青になってから横断歩道を渡っていたそうです。なんと利口な子でしょう。

私は電話をかわり「Kさん、ジロー君は今、病院に遊びに来ているよ」と伝えました。 後は泣いているのか笑っているのかわからないKさんの声。すぐに迎えに来たKさんは 「ジローや、もうあなたは病院にもらわれなさい」。あららKさん、あんなに泣いていた のに心にもないことを・・・。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【111】*あなたは犬派? 猫派?
2003/06/25 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 671文字

世の中のペット愛好家には、犬好き派や猫好き派がいます。欧米では両方の動物を飼っ ている場合が多いのですが、日本ではどちらか片方の動物を飼育していることが多いの で、動物を飼っているとしばしば「犬派? 猫派?」などと尋ねられます。では犬派、猫 派とはどういうことなのでしょうか?

そもそも犬は原始時代、餌を得るために人間の近くに来るようになったオオカミが、お こぼれをもらいながら人に飼育されるようになったといいます。猫は人間の住居近くにす み着いた食料を荒らすねずみをとるために、人の近くにきた山猫が飼いならされて現在に いたったという説があります。

犬は“一匹おおかみ”などという言葉があるように尊厳のある強い生き物だったのが、餌 を得るためにしっぽを振って人に迎合し、人にこびを売ることで人間社会に適応していっ たのです。それに対して猫は特に人に何かをするわけでもなく、自分の尊厳を保ったまま で人間が勝手にかわいいと思って餌を与え、人の家に住み着くようになったのです。

犬はオオカミの持つプライドと引き換えに食を得ました。猫は自分の野生を保ったまま でなんら自分を変えることなく、人間社会に順応していったのです。

犬派か猫派というのはこの点に好みの違いがあるようです。動物病院で働く仲間に犬派 か猫派か聞いてみると「どっちも好きでたまらない」という人が一番多いのですが、「し いて言うならば○派」との答えには「なるほど」と納得がいくのです。するとあらまあ、 その人の顔がペットそっくりに見えてきました。さてあなたは何派?

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【115】*犬の忠心は愛情のお返し
2003/07/23(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 705文字


犬から人に対する愛情話には、犬が人の言葉を話せないがゆえの奥ゆかしさがありま す。

東京・渋谷駅前の忠犬ハチ公は出かけたきり帰ってこない飼い主を心配し、十年間、毎 日のように駅で主人の帰りを待ち続けた実話です。外出先で不慮の死を遂げた飼い主のこ とを、ハチ公は知らずに迎えにいきました。

もしかすると、飼い主の死を本当は知っていて思い出の場所に毎日お参りをしていたの かもしれません。

アメリカでは十五年前、引っ越しをした飼い主の行き先を知らずにぼろぼろになりなが ら八百キロの道程を七ヵ月かけて捜したビーグル犬オスカーの話があります。オスカーは 飼い主の引っ越し先を知らないどころか、元の自宅周辺から出たこともなかったそうで す。自分を置き去りにしたかもしれない飼い主でも、会いたくて必死にアメリカ中をひた すら捜したのでしょうか。それとも毎夜、同じように自分を捜しているはずの飼い主の顔 を思い浮かべ生きてきたのでしょうか。これほどにも崇高な犬の忠心はどこから来るので しょう。

飼い主は犬の頭をなで優しい言葉をかけます。犬はお返しになめてくれます。犬にとっ

ての喜びは食べ物をもらうことよりも飼い主から注目されることなのです。犬にとって最 大の不安は、自分はこのまま置き去りにされるのではないか、飼い主と離ればなれになる のでは、ということなのです。

犬は命がけで飼い主のそばにいたいと思うのに、自分の都合で飼い犬を捨てる人がいま す。犬の悲しい鼻声は「お願いです、私をずっとそばに置いてください。私はあなたを愛 しています。一度でもあなたに飼われたならあなたを愛し続けます」と聞こえるのです。
(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【123】*心に残る愛犬家の言葉
2003/09/17 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 14ページ 575文字


九月は長月。今年の夏はいつの間にか通り過ぎていきました。夏らしい暑い日が例年よ り少なかった北海道。野山には八月からススキの穂がゆれ、夏の終わりを告げているかの ようでした。

この時期になると、私が幼いころに飼っていたシロのことを、ふとした瞬間に思い出す ことがあります。目を閉じると、子供だった私の顔をベロベロになるまでなめられたセピ ア色の記憶が、まぶたの裏におぼろげながら浮かんでくるのです。

シロがいなくなったのがいつだったかは、はっきりしません。でも、シロを失った時の 思い出は、私の人生の中で初めて知った悲しみと言ってよく、今も心のアルバムに残って います。

振り返ってみると、シロはかけがえのない私のパートナーであり、兄弟のようでもあ り、他人には語ることができない二人だけの世界がありました。

自分が大人になった時、ある愛犬家の方から聞かされ、印象に残った言葉があります。

「もし、あなたに子供ができたなら、ぜひとも子犬を飼いなさい。子犬はきっとあなた の子供よりも早く成長して、子供を守ってくれるでしょう。そして子供が成長すると親友 になってくれるでしょう。その犬は老い、やがて死んでいくことでしょう。犬は最期に青 年に教えるのです。別れの悲しみを」

秋は、私の心を少しだけセンチメンタルな気持ちにさせるのです。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【127】*不思議なタツノオトシゴ
2003/10/15(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 682文字


空を飛ぶゾウというのは、夢でもない限り見られませんね。人間が考え出した空想上の 生き物は人魚やペガサス、日本ではカッパなどいろいろあります。いずれも実在する生き 物からイメージしたものですが、化石で発見された太古の生物には、目が五つもある魚 や、カンガルーに似た有袋類の「袋ライオン」などもいます。ちょっと想像が難しいです ね。

地球上に現存する生き物の中で、私がとても不思議に思っている動物があります。それ はタツノオトシゴです。この生物は英語では「シー・ホース」と言い、和訳では「海馬」 となります。

この生き物が何の仲間かご存じですか? エビのようでもあるし、ヤドカリに似ている 気もします。でも、このユーモラスで幻想的な生き物は、実はれっきとした魚の仲間なの です。

タツノオトシゴは、その姿かたちから別名「シー・ドラゴン」と呼ばれます。しかし、 その名に反してプランクトンなどを餌にする“海の静かなる狩人”なのです。

タツノオトシゴには風変わりな見かけと同様、意表をつく生態があります。それは、オ スがメスに代わって子育てをすることです。

産卵の際、メスは卵をオスの「育児嚢(のう)」に産み落とします。これは、カンガル 一の袋にも似たオスにだけ見られるおなかのリュック。“オスの子宮”とも呼ばれる育児囊 赤ちゃんの栄養のための母乳、いや父乳?なるものが出るらしいのです。

赤ちゃんはお父さんのおっぱいで育ち、大きくなってから親離れをするのです。お父さ んのおなかのゆりかごの中で、赤ちゃんたちは、どんな夢を見ているのでしょうね?

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【131】*夢は「海馬」からの贈り物
2003/11/12(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 14ページ 658文字


先月のこのコーナーで、オスが子育てをするタツノオトシゴの生態を紹介しました。お 父さんのおなかにある揺りかごのような袋の中で育つタツノオトシゴの赤ちゃんは、いっ たいどんな夢を見ているのだろうかという話でした。今回はその続きを書きます。

夢を食べると言われる獏(ばく)という動物がいますが、人間以外の生き物も夢を見る のでしょうか?

わが家のいやしん坊の犬・ノワールちゃんを見ていると、寝ている時に口を動かしなが らよだれをたらし、声まで出すことがあります。きっと骨でもかじっている夢を見ている のでしょう。少なくとも、犬は夢を見ているようです。

それでは、夢とはそもそもどうして見るものなのでしょう。科学的には、睡眠中に脳の 中にある「海馬」という部分が、起きている間に経験した出来事を記憶するデータとして 処理している時に見られる現象と言われています。

海馬という部位の名称は、脳を断面図にすると、タツノオトシゴ (英語でシー・ホー ス。つまり海の馬)の形に似ていることから付けられました。私たちが毎日見ている夢 は、タツノオトシゴからのプレゼントなのですね。

漢方薬にも用いられるタツノオトシゴは、疲労回復や滋養強壮に良いとされています。 これを飲むときっと、揺りかごに揺られているような良い夢が見られるに違いありませ ん。

私が小さいころに見た夢、そして思い描いていた将来の夢、もう忘れてしまった夢。タ ツノオトシゴのことを考えていると、子供のころに置き忘れてきた夢を探しに行きたくな りました。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【135】*心優しいお巡りさん
2003/12/10(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 14ページ 679文字


猫がこたつで丸くなる寒い日が続いています。師走に入ると、世間ではなぜか良くない 事件が多くなりますが、今回は私が不在の時に起きた心温まる出来事を紹介します。

日中の診察時間のことです。病院の駐車場に一台のパトカーが止まり、制服姿の警察官 二人が待合室に入ってきました。受け付けのスタッフが「何か事件かしら」と緊張してい ると、警察官が手にしていた箱の中には、ピクリとも動かない子猫の姿がありました。

話を聞くと、パトロール中に道端で何かを見つけ、よく見ると、うずくまっていた子猫 だったそうです。どうしても見放すことができず、とりあえず保護して病院に連れてきた とのことでした。

スタッフは、箱の中の子猫が虫の息だったため、急いで治療を施そうと手術室へ運びま した。血液検査をしたところ、重い脱水症状と寒さによる体温低下で体がまひし、意識不 明になっているのが分かりました。

スタッフが「できる限り手を尽くしましょう」と伝えると、警察官はパトカーで去って いきました。二十四時間に及ぶ点滴と看護のかいあって、翌日に子猫は起き上がれるよう になり、少しずつ快方へ向かいました。

かわいらしいメスの三毛猫ちゃんはその後、子供らしいおちゃめなしぐさも見せるよう になりました。「身寄りのないこの猫をどうしたら良いだろう」と考えていたところ、連 れてきた警察官の一人が面会に訪れ、「この子は自分が飼います」と言われました。

子猫を見つめる優しい目に、病院中が笑顔であふれました。物騒な出来事が多い昨今、 誠実なおまわりさんの姿に、心が和む思いでした。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【139】*逸話多い干支のサル
2004/01/14 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 676文字

新しい年を迎えました。今回は干支(えと)のサルにまつわる話を書きましょう。

数年前、中国雑技団のおサルさんが足を悪くして治療に訪れたことがあります。ひざの 靭帯(じんたい)に損傷が見つかり、絶対安静が必要。しばらく芸の披露はできませんで した。

私は中国から来たこのおサルさんに、はりを打ちました。調教師の方は動物に針きゅう の治療を施したのに驚いていましたが、ひざは帰国するまでに治り、喜んで帰られたのを 覚えています。

中国のサルと言えば、西遊記の孫悟空が有名です。荒くれ者だった孫悟空は、三蔵法師 に付き添って西国への旅を続ける中、さまざまな妖怪と勇敢に戦いながら、正義や道徳を 学び、弱い者を助ける心をはぐくんでいきました。

一方、古代エジプトでは、サルは太陽の神の使いとされ、知恵や学問の守護神とあがめ られてきました。日本でもサルの語源について、獣の中で最も知恵が勝っているため、 「マサル」から転じたとの一説があります。

およそ五百万年前、ヒトはチンパンジーと共通の祖先から分かれ、独自の進化を遂げま した。そういうと、何だかサルを見下しているように聞こえますが、われわれ人間も他の 動物から見れば、服を着たサルにすぎないでしょう。

ことわざで、自分のことを棚に上げて他人をあざ笑うことを「サルの尻笑い」と言いま す。自分の尻が赤いのを知らず、仲間の赤い尻を見て笑うサルのたとえです。

勇気と正義、そして知恵の象徴でもあるサル。まさに今年を見据えているような気がし ます。そんな私も自分の尻を見なくてはいけませんが・・・。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【143】*厳冬を生き抜く動物たち
2004/02/18 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 10ページ 678文字


五十五回目を迎えたさっぽろ雪まつりが幕を閉じました。雪と氷がつくる芸術の祭典を 多くの人が楽しんだことでしょう。雪に閉ざされた厳しく長い冬でも、いろいろな楽しみ がありますね。皆さんは、北国の風物詩と言えば何を思い浮かべますか?

すっきりした冬晴れだった先日、家族と札幌近郊にワカサギ釣りに行ってきました。家 族というのはわが家の愛犬で、黒ラブラドールレトリバーの女の子・ノアールちゃんで す。凍った湖上には、まるで花が咲いているかのように、色とりどりのテントが並んでい ました。

真っ白い雪のキャンバスの上で、白い息を吐く真っ黒のノアちゃん。なんてかわいいん でしょう。私もただの親ばかな飼い主になっています。

夢中で走り続けるノアちゃんは、次第にゴマ粒に見えるほど遠くへ行ってしまいまし た。大声で呼び止めると、周りの山々も一緒に「ノアちゃーん」とこだましてくれまし た。

雪に埋まりながら探しに行くと、至る所に獣の足跡がありました。一直線の足跡はキタ キツネ。ちょうど今が恋のシーズンで、雪の中で愛を語り合っているかもしれません。四 月を過ぎるころには、かわいい赤ちゃんが生まれるはずです。

タラの木の周りには、前後二対にそろったウサギの足跡が付いていました。ナラの大木 まで続く小さな足跡はエゾリスでしょう。

ノアちゃんと私は、二人だけでどこまでも続く純白の世界を楽しみ、厳しい冬の自然に 息吹く命の存在を知りました。帰りの車中、今度は雪が解けた後に、子ギツネを見に訪れ ようと思いました。

えっ、ワカサギは釣れたかって? もちろん!

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【147】*生死共に犬とのきずな
2004/03/17 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 729文字


私は二月、犬ぞりレースの本場、アラスカへ行ってきました。日本でも最近、各地で雪 中犬ぞりレースが行われるようになりましたが、私が訪れたのは、「ユーコンクエスト」 と呼ばれる世界的に有名な、そして世界で一番過酷な犬ぞりのレースです。

アラスカ第二の都市フェアバンクスをスタートし、ユーコン川をさかのぼってカナダに 入り、ホワイトホース市までの千六百キロを十日間以上かけて走ります。

このレースは、アラスカ開拓者の一人である日本人の和田重次郎が一九○二年(明治三 十五年)、フェアバンクス近郊で発見した金鉱のことをいち早くカナダ・ドーソン市へ伝 えようと、氷点下四○度の寒さの中、延べ二十日間も犬ぞりで駆けた話を再現する目的 で、一九八四年に始まりました。私の友人の英国人獣医師がレース犬のサポートをボラン ティアで行っています。

マッシャーと呼ばれる犬ぞり使いは、一年の半分を犬たちの養育費のために働き、残り の半年を犬の調教に費やすそうです。体感温度が氷点下六〇度にもなる、想像を絶する寒 さの中を、十頭ほどのハスキー犬などがマッシャーの掛け声一つで、道なき雪原をひたす ら走るのです。休憩点では、マッシャーは犬たちに先に食べ物を与え、冷たくなった犬の 足を自分の手で温め、自らはほとんど休みも取らず、ひたすらゴールを目指します。

私も犬ぞりに乗ってみました。右に曲がる時は「ジー」、左へは「ハー」と声を掛ける と、そりはたくみに曲がっていきます。神秘的なオーロラの世界、そして、過酷な自然と 向き合って暮らしている人々の姿に感動しました。ここには間違いなく、犬をペットとし て扱うだけではなく、生死を共に生活する人と動物とのきずながありました。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【151】*自然を生き抜く美しい姿
2004/04/14(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 681文字

道東の知床を小笠原諸島、琉球諸島とともに世界遺産に登録しようという推薦書が一 月、ユネスコの世界遺産センターに提出されました。観光を含む人社会の活動と自然保護 との間に今後、新たな取り組みが行われようとしています。

知床には毎年多くの観光客が訪れ、漁業などを営む地元の方もいますが、ヒグマのテリ トリーでもあります。昔は、海面であおむけになり、おなかに乗せた石で貝を割って食べ るラッコがいましたが、数十年前に絶滅してしまいました。

自然には、ひとたび崩れると元に戻れないもろさと、厳しい環境の中で強く生きていく 生き物の姿があります。秘境といわれる、自然が手付かずに残された場所は、過酷な自然 環境がゆえに人の開発を拒みつづけた神聖な土地ともいえます。太古の時代からその土地 を守り続けてきた生き物は、今、文明という波に押し流されつつあります。

人には自然に触れたいという願望があります。大自然が持つ包容力にひかれるからでし ょう。都会で生活している人には、自然を体験するつかの間の癒やされる時間が必要なの かもしれません。

壮大な景観やどこまでも続く青い空、天空をきらめく星々、身近で見る動物の美しい姿 と生き物の本質の姿。地球が宇宙に誕生して四十億年たち、最初の生命体が生まれたのが 三十五億年前のこと。今の人の祖先が十五万年前に現れ、そして、人の誕生は母の胎内で わずか二百八十日間のことです。

悠久の時を経た地球で、またたきほどの短い時間に息づく生き物のひとつとして、私は あらためて北海道の大自然と生き物のことを考えずにはいられません。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【155】*びっくり「犬の海中散歩」
2004/05/19(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 723文字

桜が散り、木々の葉緑が日増しに深まって夏らしい日差しが見え始めた先日、愛犬を連 れて魚釣りに行きました。砂浜でバーベキューをし、のんびり釣り糸を垂れていると、漁 師さんが犬を二匹連れて散歩をしていました。高さ三メートルほどある防波堤の上を連れ 立って歩き、百メートルほど先の端に着きました。すると漁師さんは一匹の犬を抱え、海 へ投げ込んだのです。同じようにもう一匹も! そして何事もなかったように振り返り、 平然と引き返し始めたのです。

私は釣りどころではなく、驚いて波打ち際まで駆け寄りました。目を凝らして海面を探 すと、二匹はイヌかきで、堤防沿いに飼い主を追って泳いでいるのです。ホッと胸をなで おろすのと同時に、犬になぜこのようなことをしたのか、疑問が頭を駆け巡りました。

漁師さんは犬を岸辺で待ち、私のそばに来て自慢げに言いました。一匹は十四歳、もう 一匹は五歳で、幼犬のころから、犬を泳がせるのを散歩代わりの日課にしているのだと。 私は思わずうなりました。犬も飼い主もすごいなあ。こんな散歩は見たことがありませ ん。感心していると、忘れていた釣りざおがお辞儀をしています。巻き上げると小さなカ レイが釣れていました。「大きくなったらまたね」と海に返しました。

中国には、「一時間幸せになりたければ酒を飲みなさい。三日幸せになりたければ結婚 しなさい。八日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。一生幸せになりたければ釣り を覚えなさい」ということわざがあります。なるほど、私なら最後にこう加えます。「一 生忘れられないものを望むなら、何か動物を飼いなさい」と。浜辺でカモメとたわむれる 愛犬を見ながら、幸せな時を過ごしました。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院院長)

【159】*知恵者フクロウの教え
2004/06/16 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 696文字


道東への出張の帰り道に、毎年訪れているシバザクラで有名な網走管内滝上町に立ち寄 りました。山の斜面一面に白やピンクに敷き詰められた花のじゅうたん。丘を登っていく ととてもよい香りがしてきます。花園はまるで自分がおとぎの国にいるかのようです。

立ち止まり、かがんで一つ一つの花をよく見ると、小さな五つの花びらが付いており、 桜の花に確かに似ていることがわかります。このかれんな花の花言葉は「忍耐」。冬、雪 深いこの山間の村で春を待ち、雪を割って芽を出し、花の一つ一つは小さいけれども、 皆、一斉に咲くと壮大な花園となるのです。花弁が落ちると、次の春までまたひっそりと 忍びます。

滝上町のまちづくりのテーマは「童話村」。私はある童話を思い出しました。モニカ・ バイツェ作「いつだってともだち」というお話。その話は、子ゾウが仲良しだった友達の 子ゾウと離れ離れになってしょげていた時に、知恵者のフクロウから三つのできることを 教えてもらうのです。

それは、「ひとつ、悲しいときには我慢せずに泣くこと」 「ふたつ、悲しい気持ちを誰 かに話すこと」「みっつ、心の中に友達の部屋を作ること」。忘れようとするのではな く、いい思い出にしてしまっておき、何かあった時に部屋から出して思い出す。自分を取 り戻す手だてとして役立てて、そして、また元気になれるというのです。自分の心にうそ をついてはだめ。悲しむだけでは何も見えてきません。

そういえば、旅館前の森の闇から「ホーホー」とふくろうの声が聞こえていました。森 の中にひっそりとたたずむ童話村には何か、おとぎ話に出てくるような神秘さがありま す。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)

【163】*負傷フクロウ縁で珍光景
2004/07/14 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 695文字


動物病院には犬や猫などのペットのほかに、傷ついた野生動物が保護されてくることが あります。先日は、交通事故に遭ったフクロウが運ばれてきました。

フクロウは、映画化もされた本「ハリー・ポッター」の中では、郵便を運ぶ鳥として登 場します。日本では、「不苦労」「福来郎」などと呼ばれ、縁起のいい動物とされていま す。

けがをしたフクロウは、初めは人をかなり警戒していましたが、次第に与えた鶏肉を骨 ごとしゃぶりつくようになりました。「もし飛べるようになり、放鳥するとしたら」と考 え、日高管内の山中を選び、下見に行きました。そこでとても不思議な光景を目にしまし た。

マツの木が空に向かって伸びているのではなく、途中から折れ曲がり、逆さになって地 面に向かって伸びているのです。それもたくさんの木が。枝には緑の葉が茂っていて、枯 れ木ではありません。

日高町役場によると、冬に雨が降って枝が凍りつき、その重みで木が曲がってしまった とのこと。「雨氷」という珍しい現象だそうです。まるで腰の曲がったお年寄りのような マツの木に、フクロウもきっと目を丸くして不思議に思うでしょう。

年を取るといえば、こんな話があります。子フクロウが親フクロウに尋ねました。「人 間は何歳までが若くて、何歳からが年を取ったというの?」。親フクロウが答えました。 「人間には過去や思い出があり、夢や希望もある。両方をはかりにかけて、夢や希望の重 い人を若い人、逆に過去や思い出が重い人を年を取った人というんだよ」

福が来ることを夢見ている私は若い人かなあ。思い出を考えている間に、真夜中になっ てしまいました。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)

【167】* 「いいかまどの猫」もらうな!?
2004/08/11 (水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 700文字


突然、「スキッ、スキッ、スキッ」と林の中からの声、何だと思います? 利尻富士に 登ろうと訪れた利尻島で、私の耳にまず入ってきたのは鳥たちの会話でした。姿は見えな いけれど、あちらこちらから聞こえてきます。声の主はウグイス。有名なさえずりは「ホーホケッキョ」といわれますが、実際にはさ まざまな鳴き方をします。繁殖期に入り、オスがメスを誘っているのでしょうが、「好 き、好き、好き」とは大変なラブコールですね。島はちょうどウニ漁が始まったころで、浜ではお年寄りの方々が漁小屋に集まり、水揚 げしたウニをスプーンのような道具で上手にむいていました。手慣れたものだと見とれて いると、私にもウニをくれました。大きなムラサキウニです。話しながらウニをいただいていると、この島もお嫁さん候補が少なく、「都会から来た 嫁さんは上品すぎて」という話題になり、あるおばあさんが言いました。「いいかまどの ところの嫁はもらうな、いいかまどのところから猫を分けてもらうな」解説してもらうと、「三度三度いいご飯の出る上流の家から来た嫁は汗を流して働かな いのでだめだ。いいマンマのあたる家からもらった猫は残飯を食わないべさ」。お嫁さん と猫が同列なのは、嫁としゅうとめの昔話なのでしょう。そういえば以前、この島で、猫が丸ごと焼いたサケを餌にもらったのに、人間が食べる 身の部分には口を付けず、鼻の先を中心に皮や骨を食べていたのを思い出しました。さす が島の猫、サケの一番おいしい部分を知っているのでしょう。私も機会があれば猫まねに チャレンジしてみます。「いいかまどのお嫁さん」は無理だと思いますが。(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)

【171】*病気、けがしないのも名馬
2004/09/08(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 689文字

私の夏の昔話です。大学生時代の夏休みに馬の牧場で乾草を収穫する「牧草上げ」とい うアルバイトをしました。日が昇ってから沈むまでの肉体的重労働。わずかな休み時間 に、よく馬を借りて駆け回りました。馬には気品と優しい瞳、そして人を魅了する何とも いえないロマンを感じました。

競走馬にはハイセイコーや、オグリキャップなどの名馬がいましたが、負けて有名にな った馬もいます。高知競馬場で連敗中の牝馬、ハルウララです。八月三日には同じ母馬か ら生まれた異父きょうだいにも負けて百十三連敗。デビュー以来一度も一着になったこと がなく、毎回馬群に消えていく馬に、なぜここまで人気が出たのでしょう。

「負けの美学」という言葉があります。人間は勝ち負けだけにとらわれずに、信念を貫 いて正々堂々と戦うことに意義がある、と。感動のオリンピック競技もそうでした。しか し、競走馬の世界では賞金を稼げない馬やけがをした馬は、乗馬用か廃用にされるのが普 通です。彼女は勝ちはしなかったものの、病気やけがに見舞われることなく、現役として は高齢の八歳を過ぎても戦っている姿が、人気の秘密でしょう。

「無事是名馬」とは有名なレースで勝ったことがなくても、病気や故障がない馬が名馬 だという意味です。彼女の残したものは不名誉な連敗記録だけだったのでしょうか。これ といったタイトルもなければ、後方からのごぼう抜きなど派手なレースをしたわけでもな い。それでも彼女が人々の心に何かを刻んでいるのは、間違いないでしょう。

彼女は来年三月の引退が決まりました。長い間ご苦労さま。そして、夢をありがとう。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)

【175】*注射は飼い主も痛い?
2004/10/06(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 695文字

私は診察をしている時によく動物に「痛くしないからね」と話しかけます。動物は言葉 の意味はわからないでしょう。実は付き添っている飼い主さんに話しかけているのです。 動物に注射をする時など、見ている飼い主さんが、わが身にされているかのように痛そう にまゆをしかめるからです。もちろん動物にも優しくしていますよ。

では「痛み」とはそもそもなんでしょう。痛みとは傷ついたところを体に伝える信号で す。痛みを感じる場所は、傷ついた場所ではなく、脳の神経です。痛みがあるとその部位 から電気信号が発生し、神経を伝わって脳に情報を送るのです。身長一メートル六○セン チの人のつま先を踏むと、痛みは脊髄(せきずい)を通り、○・一秒後には脳に伝わって います。

ある説では、痛みには二つの意味があり、一つは肉体的痛み、もう一つは肉体的と精神 的とを問わず、それを受ける人の魂の痛みであるともいわれています。

魂の痛みというのはどういうことでしょう。これは人間の限界であり、人間の弱さであ り、人間の現実であり、人間の存在そのものであるといいます。私たちは、心が熱してい ても、壁に直面して、自分に涙する経験から、この自己の限界を魂の痛みとして感じるそ うです。

まだ私が若かりしころ、好きになった女の子がいました。話しかけたくても言葉が出 ず、目と目が合うとわざとにそらし、それなのに好きだと告白したくて、でも何かが壊れ るような気がしてできなかった。初めて人を好きになって胸が苦しくなり、心に痛みを覚 え、そのジンジンとする痛みが何か分からなかった。今になってあれが魂の痛みなのかと 気づきました。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)

【179】*“秋の味覚”中毒にご用心
2004/11/10(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 690文字


山の秋の味覚といえば何を思い浮かべますか。カキやクリ、ヤマブドウ、そしてキノコ の中ではマツタケは最高ですね。土瓶蒸しやマツタケごはんは、今が旬です。

キノコにはその名前に動物名が付くものがあります。イヌセンボンタケは小さな薄紫色 のキノコがかたまって無数に生えます。この場合のイヌという意味は「食用にならない、 取るに足らない、役に立たない」などの意味で使われます。あまりいい意味ではありませ んね。ネコノシタというのは、その形から名付けられたものです。

昨年のちょうど今の時期だったでしょうか。診察終了間際に、ラブラドールリトリバー が横倒しで運ばれてきました。ただならぬ状況に酸素吸入などの緊急処置を施しながら、 飼い主さんに話を聞きました。つい先ほどまで自由に公園を走らせて元気に遊んでいた が、帰宅してから立てなくなり、急いで連れてきたとのこと。来院時には意識がなく、足 はひきつけを起こしていました。

まさに一刻を争う状態に、私の頭にピーンと来たものがありました。毒キノコ中毒で す。毒キノコというと見るからに毒々しい色をしているものがありますが、犬はあまり色 彩が区別できないので、色に関係なくいたずらで食べてしまったのかもしれません。急い で解毒薬を注射しました。

翌日、飼い主さんがその公園で採取したキノコを保健所で調べてもらったところ、「テ ングタケ」という猛毒のキノコでした。その犬は自分で歩けるようになり、無事に退院し ました。

うわさでは毒キノコは美味だそうです。ワンちゃんにも秋の味覚が分かったのかもしれ ませんが、もう食べちゃいけませんよ。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)

【183】*キリン描いた子供の夢は・・・
2004/12/08(水) 北海道新聞夕刊地方(札幌市内) 図表 12ページ 684文字

昨年の今ごろ、私は戦火のイラクにいました。動物治療用の医薬品や白血病の子供のた めの抗がん剤などの救援物資を届けるボランティアとして訪れたのです。

バグダッドの動物園は戦争の混乱と略奪により、ほとんどの生き物が失われ、ただただ 広い空き家と化していました。平和な時代には、ここが人々の笑顔と笑い声で満たされて いたことがうそのようで、空っぽの檻(おり)や、以前はキリンが飼われていたさくが、 何とも言われぬむなしさを誘っていました。

人道支援のために訪問した病院で、白血病の子供が描いた動物の絵の中に、キリンがあ りました。背の高いキリンは小さな子供にとってあこがれなのでしょう。

小児病棟では薬が足りず、多くの小児がんの子供が苦しんでいました。それでも精いっ ぱいに生きる姿がありました。そして、それを支えているのは家族でした。幼い娘が病気 の妹を看病している姿に目頭が熱くなりました。戦争という悲惨な状況下でも、家族で支 え合って必死に生きているのです。

人は一人では生きられません、一人では生まれてくることさえできないのです。生きて いくのに必死である姿に、ここにいつか平和と夢が必ず訪れることを願いました。

木の高いところの葉を食べたいという願いを捨てたなら、キリンの首は長くならなかっ たでしょう。私たちは空を見て自分の夢を高く持って、そしていつかその夢を実現するた めに努力をすれば、きっとかなうに違いありません。絶対できると信じなければ、夢は決 してかないません。キリンのことを思うと、夢と希望と子供たちの笑顔が私のまぶたの奥 に映るのです。

(斉藤聡=札幌・石山通り動物病院長)